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2008年03月05日 薬害エイズ 無責任行政への指弾だ
【社説】2008年3月5日中日新聞
すべきことをしない。「不作為」の罪深さを露(あら)わにしたのが、薬害エイズ事件だ。元厚生省課長の有罪が確定する。薬務に限らず、無責任な行政そのものへの指弾だと広く受け止めたい。
官僚組織はもともと責任のありかが、ぼやけがちになる。人事異動で責任者は交代する。課内で取り決めた事項も、局長や次官らに決裁は上がるから、意思決定がどの時点でなされているのかも、外部からはわかりづらい。
この結果、役人の怠慢により、犠牲になる国民が出ても、問題は放置されてしまう。税金の無駄遣いがあっても、個人の責任が問われぬままに終わることが多い。「負」の面が表に出にくいわけだ。
最高裁が、無罪を主張する元厚生省(現厚生労働省)生物製剤課長・松村明仁被告の上告を退ける決定をしたのは、その点で極めて意義深い。一官僚がすべきことを怠る「不作為」に対して、刑事責任が確定する初のケースとなるからだ。
薬害エイズ事件は、非加熱の血液製剤の相当量が、エイズウイルスに汚染されていたことに起因する。これを使用すれば、感染・発症し、多くの人が死に至ると予測された。
この点について、最高裁はまず「国が明確な方針を示さなければ、安易な販売や使用が続く危険があった」と判断した。さらに、血液行政の「中心的な立場」にあった元課長に対し、「必要で十分な対応を図る義務」があったのに怠ったと結論づけたのである。
元課長が断罪されるのは当然だが、大臣や次官や局長ら上司はどうだったか。部下らはどうだったか。無責任さは組織全体にまん延してはいなかったか。あらためて猛省が求められよう。既に製薬会社元幹部の有罪は確定しているが、安易に使用した医師にも、その問題が突きつけられる。
和解したC型肝炎訴訟でも、汚染された血液製剤への対応の遅れで、多数の被害者が出たことが分かった。薬害は「業・官・医」という、まるでなれ合い構図の中で起きる。元課長の無為無策だけに原因を求めては、薬害根絶につながらない。
今回の決定は、薬務行政そのものへの厳しい指弾である。同省は「患者第一」という原点を見つめ直してもらいたい。
他省庁や自治体の役人たちに、与える影響も大きいはずだ。公務員に対して、姿勢を正すことを求めてもいよう。すべきことをしているか、役人は胸に手を当てて考えてみるべきだ。