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皆様の声

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2016年04月13日 【568】 息子は中学2年 タミフル服用//脳症に // 匿名さん より  ・・・・ご意見・ご...

私の息子は中学2年、陸上部の部活をしてました。

2月24日、午前中に学年主任の先生から電話が午前十時に熱が有るという事で、学校に迎えに来てくださいと言われましたが、私の仕事場が遠かったので歩いて帰る様にお願いしました。
夕方、4時、息子の姉も熱が有ったので私含め三人でいつも通っている小児科の病院に受診してインフルエンザの検査をしました。姉はすでに38度位の熱が有ったので、直ぐにインフルエンザAの結果が出ました。息子は37*3の微熱でしたが検査では、薄くですがインフルエンザAの結果となりました。
先生よりタミフルの服用と抗生剤を処方してもらい、家に帰りました。

夕方6時位、姉はそのまま布団へ、息子はお風呂と食事そして薬を飲み、7時には二段ベッドの上に眠りにつきました。その時の検温も37度の微熱でした。私は、家の事を終わらせ8時に床に入った。
夜の10時、娘が弟がうるさいからと言って私を起こしてきました。
慌てて起き息子を見ると、意識が無く嘔吐とけいれんをおこし、手がベッドの落下防止の柵を叩いていました。私は以前違う病気で貰っていたけいれん止の座薬を冷蔵庫に取りに行き息子のおしりに入れた、そして携帯電話で119番して救急車を呼び、10分位に到着、その間もけいれんは続いていました。その時私は以前起したけいれんと違うと思いました。

救急車に娘に乗ってもらい近くの医師会病院に向かいました。
私も自家用車で向かい、同じ位に到着。息子は処置室に運ばれ、娘は病院の用紙をもらい書き込んていました。娘がインフルエンザだと病院に告げたので、待合室とは違う場所に案内されました。
しっかりとした時間は覚えていませんが、午前0時位だろうか、処置室に呼ばれ恵治と当直医に合う、そして採血の結果を聞きました。
息子はPH6'9 肝臓の値が9000,他に腎臓、膵臓、など専門用語で言われたが、あまり意味が分からない。とにかく何の病気か分からないまま入院となった。息子はけいれんも止まり、意識も無い状態が続いていました。

数十分後、息子は小児科の病室に移る。午前3時位にもけいれんが起きてナースコールを押す。数分後にはけいれんも止まるか、熱が39度代から下がらなく朝を迎える。
朝一番でMRI検査と脳波の検査を行いました。検査が終わり病室に帰り、しばらくすると担当医が来て、ここでは機材が無い為、大学病院に転送を行うと言われ、一時間後にドクターヘリで大学医学部に搬送された。

医大に着くと直ぐにICUに入って行った。
何の説明も無いまま、病院内をウロウロ、午後3時過ぎにやっと連絡があり、担当医と会い、インフルエンザ脳症と告げられた。ただ専門用語が多くて理解が出来ない。治療方法は血液透析と血漿交換を行うと告げられた。
私もインフルエンザの中にいたので、インフルエンザの検査を大学病院内で行ない陰性が出た。ただインフルエンザ予備軍と言う事で行動の制限とタミフルの服用を言われ飲んでました。
毎日、採血の値が良くはなってましたが、それでも高い数値でした。
私はICU 息子の部屋には入れず、三日目にやっと対面しました。身体全体に機械が取り付けられ、とても可哀想でした。
手足は冷たくて、で体温は少し高いと言う事でした。
五日目位かな、脳波をとりたいと言われ検査しました。結果は微弱な電気が出てるだけで、救急車で運ばれた医師会でとった脳波と全く違っていると言われた。もしかしたら腫れ上がっているかもしれない。
人工呼吸も時々、自力呼吸の現象も現れていたので、少し期待を持って経過を過ごしていました。
数日、何も無い日が過ぎていたので、良くなる方向だと信じ毎日数回ICUに入り、恵治の足や手をさすったりもんだり話しかけて過ごした。

息子の中学のクラスでもみんなで休み時間を使い千羽鶴やメッセージを作り始めてて病気が治ることを祈ってくれてました。私も主治医の許可を取り、自宅や職場、中学校に出向き息子の治療の経過を報告して回った。

そして九日目、主治医から治療の変更を言われた。血漿交換を止めて、血液透析を中心に行う。腹水も溜まって来ている。初めの頃はおしっこも出ていたが、この頃には出なくなっていた。採血の結果の数値はそれほど変わらなくなってて、逆にアンモニアが出て来てると聞かされた。

十日目、午前中用事を済ませ昼から病院に行き、息子の手足をマッサージやモミ方、話しかけながら一時間程行う。便とおしっこも出てなく、お腹はパンパン手足の色も悪い。夕方、主治医との話しがあり、今後の治療の方向性を決めてくださいと言われた。でも私は、はっきり言って分からなかった。
お見舞いの中学の先生達が来て頂いて、一人でバタバタ、そして悩む。
再度、主治医との話を設定して頂き、色んな質問やお願いなど長い時間しましたが、結論は出ず話を終えた。ちょうどその頃、息子の血圧が下がるのをナースから聞く。それと同時に恵治の中学の担任が千羽鶴を持って駆けつけてくれました。その時間が20時を過ぎてました。少し担任と話をしてるとナースが私を呼びに来ました。息子は血圧がとても下がり危ない状態にありました。私も声をかけて、主治医もナースも懸命の治療をしてくれたが回復しません。
そして私が治療を止めて頂く様決断しました。そして機材を外し始め、人工呼吸器を取ろうとした時、息子の心臓がまた動き出し、再度治療が行われた。
私は慌てて主治医の許可を受けて、担任の先生のもとに走り出す。そして千羽鶴を持って息子の所に戻り渡した。
しかし、二度と息子の心臓は動く事無く、永眠しました。
その時主治医の時間が、20時39分。
この39分は息子からのメッセージです。それは、ありがとう。

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